「危機感をあおる」は正しいか?
長らく個別指導の授業を行う中で「危機感」を煽る言葉を使うことがあります。
「今のままだと成績は上がらない」
「勉強をしないとどうなるか」
より具体的に生徒にイメージしてもらう様に、考えて伝えています。
結果はどうだろうか、というと
「ほとんど効果がない」
というのがこれまでの感想です。
「危機感が意味がない」と言うわけではないのです。
ただ、よくよく考えてみると私たち大人でも「危機感」を原動力に努力していることって、そんなにはありません。
「健康診断でものすごく悪い結果だったから、運動や食事に気を付ける」などはよく聞く話ですが、もはや「生命の危機」に対しての努力です。
それ以外で日頃から運動や食事に気を遣える人は「危機感」ではない原動力の人が多いのではないでしょうか。
「危機感」が原動力となるためには「危機」を経験した人でないと、難しいのだと思います。
では何を原動力に勉強に取り組めるようにすればいいのでしょう。
「もので釣る」というのも一つの方法です。「成績が上がったら○○を買ってあげる」「成績が下がったらスマホは没収」これを原動力に出来る子はいいでしょう。
しかし、その話をした時は「やった!」とリアクションしますが、意外と長続きしないものです。
ちなみに他にも方向性はあるのですが、今回の答えは「習慣」にする。ということを一つの答えにしたいと思います。
ただしこれ、結構大変な道のりになります。その代わり「習慣」になってしまえばこれほど強い味方もありません。
もしかしたら聞いたことのある話かもしれませんが「危機感」と「習慣」の話でタイガーウッズの話があります。言わずと知れた、ゴルフ界の伝説的なプレーヤーです。
ウッズの父親もプロゴルファーであり「パター(グリーンから入れる短い距離を打つやつですね)が最も大切だ。」と考えるウッズの父は、毎晩食事前にパターの練習をさせたそうです。
最初は30センチの距離を100回、次に50センチの距離を100回、1メートル・・・と距離が伸びていくそうです。大変なのは、外れたときです。回数は1回に戻ってしまうのです。
つまり「連続100回」入れないと、食事にならなかったそうです。
もちろん勉強で「世界一」を目指しているわけではないので、ここまで厳しくする必要はないでしょうが、場合によっては「厳しさ」は必要だと思います。
「厳しさ」あることで「何時から始めたら遅くならないだろうか」「最初の30センチを100回は朝食前にやろう」と本人が考え始めたそうです(ちなみに自分で考えるようになるまでに1年以上かかったそうです。最初は夜中までかかっても終わらなかったようです)
大切なのは「ルールが厳しい」こと。もちろん、そのルールを守る大人側も大変です。
さて、今回は「危機感」から始まった話でした。あくまで一例ですが、今思えば私自身もいろんな「習慣」にしているものがあり、それによってだいぶ助けられたことがあったことを思い出します。
おそらくお子様の年齢が低ければ低いほど「厳しさ」が必要なくなっていくのかも、と考えています。